bookmark_border[551] クレタ島との初QSO

昨日は久しぶりに時間が取れたので12m FT8を運用したところ、夕方、クレタ島とつながりました。初エンティティです。アンテナはATAS-120A、コンディションのパラメータは「SFI=119, A=7, K=2」でした。

クレタ島は地中海に浮かぶギリシャの島で、エンティティはギリシャとは別に設定されています。ちなみに日本では小笠原諸島が別エンティティになっていますが、小笠原諸島の中でも南鳥島は更に別になっています。地域(大陸)区分は、南鳥島以外の小笠原諸島が「AS」なのに対し南鳥島は「OC」となっているようです。

今回はおよそ3週間ぶりのQRVだったのですが、以前よりも更にコンディションが良くなったと感じモチベーションが上がります。

bookmark_border[550] ブログ運用方法変更のお知らせ

いつも当局のブログをご覧くださり、有難うございます。

最近は時間的制約のため中々QRVできず、またそれに纏わる話題も投稿できずにいます。この3連休は先般入手したロッドエレメントを設置してATU-100の動作を試そうと息巻いていたのですが、結局昨日は作業をすることができず、今日も難しそうです。

2020年7月のアマチュア無線再開局、2020年9月のブログ開設から1年半余り、FT8というデジタル通信方式によってベランダの小さなアンテナからいとも簡単にDX通信ができるという驚きとともに無線の魅力を再認識する日々が続き、その経験や思いを自分の記録としてブログに投稿してきました。

しかしながら上述のような状況が続いているため、決して無線の興味が失せた訳ではないのですが投稿内容も無線から全くかけ離れた話題になってしまう場合があり、ここで一度、ブログの運用方法を考え直してみようと思いました。

まずはこれまで毎日更新してきた記事を不定期での更新とし、また、2023年1月に予定されている「Biglobeウェブリブログ」閉鎖に備え、別のサイトへの引っ越し準備に取り掛かろうかと思っています。引っ越しの際には改めてお知らせいたします。

この数ヶ月はTwitterでもブログ更新を通知してきましたので、当ブログを閲覧される方も急激に増えてきて嬉しい限りですが、この様な事情により、勝手ながらこれからは不定期での投稿とさせていただきたく、今後とも引き続き宜しくお願い申し上げます。

bookmark_border[549] CQ誌発売日

今日はいよいよCQ誌4月号の販売日ですね。特集は「旬のデジタルモードを楽しむ/わたしの”FT8”オペレーション」ということで、正に当局の運用形態にマッチしたテーマですのでとても楽しみです。

また別冊付録は「アマチュア無線用ログブック」で、前回は2020年7月号に付いていましたのでおよそ20か月ぶりとなります。ちょうど当局が再開局しCQ誌を購読し始めたころの別冊付録で思い出に残っています。本来の業務日誌としての使い方はしませんでしたが、JCC/JGCリストやDXCCリストを活用しました。

JCC/JGCについてはその後ハム手帳に記録するようにしたものの、これは紙に記録・管理するよりもデータで扱った方が効率的と思っています。特にFT8ではログを含めてマニュアルでは記録が追い付かないので、電子ログからうまくデータを取ってJCC/JGCリスト作成や白地図での可視化などができれば良いかなと思っています。

なお、白地図については以前アプリを使ってエリア別に交信済JCC/JGCを色付けしていたことがありますが、手作業のため時間がかかりその後更新が途絶えています。Excelからアプリにデータを送って自動描画できれば良いのですが・・・

今回、ログブックがどの様に進化しているのか別冊付録も楽しみです。今日中には購入したいと思います。

bookmark_border[548] SSN状況

2週間ぶりにSSN(太陽黒点数)の状況を確認しました。

※NICT 宇宙天気予報センター「太陽黒点相対数の推定値」より引用

今月は年度末ということもあり、中々落ち着いてQRVできておらず空のコンディションの状態も実感できていないのですが、最近のSSNは極端に落ち込むことなくいい感じに推移していますね。ただ週末にかけて下降気味なのが気になります。

先ほど太陽のエネルギー強度(SFI値)を見たところまだ100を超えていること、コンディションの低下はSSN減少よりも数日は遅れる印象があることから、明日からの3連休はなるべく時間を取って少しでも多くの遠距離DX QSOができるようにしたいと思います。

bookmark_border[547] 再び「鉄道」の話

鉄道に関する記事を書いているうちに色々と思い出しました。今では興味は薄れてしまいましたが、思い返すと結構幼いころから鉄道に接していたと改めて感じます。それは、父親の仕事の関係で各地を転々としていたことも影響しています。

断片的ではありますが、ここでは記憶に残っていることを記したいと思います。連日、アマチュア無線とは関係無い話題となりますがご容赦ください。

・1963年頃(幼稚園時代)

札幌から東京へ引っ越すときに函館まで昼間の気動車急行に乗車しました。名称は覚えていませんが「すずらん」か「ライラック」でしょうか。「アルプスの牧場」のチャイムの響きは不思議と今でも懐かしく耳に残っています。

・1964年~1965年頃

当時は東武東上線沿線(準急通過駅)に住んでおり、踏切で前面3枚窓の旧型準急電車が高速で通過するのを見るたび畏怖の念を抱いていました。「準急」へのあこがれや旧型車両が醸し出す重厚感と走行音などが、子供心に影響を与えたのかも知れません。旧型電車でも前面に貫通扉がある車両であれば何ということは無いのですが、貫通扉無しの3枚窓ものがなぜかダメでした。他方、普段乗っていた8000系では、端の席に座って妻面の窓から線路を覗きポイントを通過するたびにはしゃいでいたように思います。この電車のブレーキ臭は独特のものでした。東武の電車はその後塗装色が変わっていきましたが、やはり私にとって馴染み深いのが当時の「茶色+橙色」です。調べてみると今では「ロイヤルベージュ+インターナショナルオレンジ」と言うようですね。

また親戚が西武新宿線沿線に住んでいましたので、たまに高田馬場から西武鉄道に乗っていました。東武東上線に比べると西武新宿線は上品という感じがしましたが、西武池袋線はその中間という感じです。なぜそう思ったのかは自分でも良くわかりません。正面の顔が、西武池袋線は国鉄80系電車のような分割2枚窓なのに対して、西武新宿線は横長につながった窓というイメージで清潔感を感じたからでしょうか・・・

・1966年~1968年頃

東京から青森に引っ越す時に「はくつる」か「ゆうづる」に乗りました。20系の特急寝台列車です。青森に到着する直前、浅虫・野内間の土砂崩れのため列車は青森までたどりつくことができず、途中、仮設ホームのようなところから別の旧型客車に乗り換えました。

当時はまだ新線が開通しておらず東北本線の線路は浪岡や浦町を通っていて、堤川を渡るSLの光景は覚えています。また青森駅では「10系ではない旧型寝台車」を見ました。形式はわかりませんが、旧型寝台車を目にしたのはその時が最初で最後です。東京の親戚の家に遊びに行くときには「ヨンサントウ」のダイヤ改正で新登場した583系の「はつかり」に乗りました。

・1969年~1971年頃

青森から和歌山への引っ越しの光景はなぜか記憶に残っていません。上野までは10系/20系/583系のどれかに乗ったと思うのですが全く記憶がなく、また東京・和歌山間の移動場面も覚えていません。老化ということもあるのでしょうが、初見のものや衝撃的なことしか記憶に残らないのかも知れません。

和歌山ではちょうど南海の路面電車が廃止になるころで、車庫前近くの道路にバイパスができたり、堀止百貨店がイズミヤに変わったり、秋葉山の前のカーブで軽トラックがひっくり返る事故を目撃したり等、ここからは結構記憶が鮮明です。ただ「車庫前ラーメン」を食べた記憶がありません。車庫前のことを「しゃこうまえ」とアナウンスしていたのは覚えています。また、学校の遠足でおにぎりを持っていったのですが、皆さんは俵型のごはんが入った幕の内風の「お弁当」だったのに対して自分はおむすびだったので恥ずかしい思いをした記憶があります。別に誰のせいでもないのですが・・・。「関東煮(かんとうだき)」という言葉も和歌山で学びました。

南海電車については、市駅から和歌山(旧東和歌山)を抜けて南紀方面に向かうキハ55もどきの気動車と緑色の客車が非日常感があって珍しかったです。また和歌山港から少し南の水軒まで線路が伸びましたが、これは何だったのでしょうか・・・? 休日には父に連れられこの近くで釣りをすることが多かったのですが、周りには直線道路と海岸しかなく水軒駅の意味はわからなかったですね。

また和歌山駅には列車を見に良く行ったものです。和歌山(黒潮)国体のときでしょうか、お召列車も見ましたし、80系(82形)「くろしお」や58系「きのくに」も好きでした。特に「くろしお」が発車するとき、駅員さんが「次はキータナベー。次はキータナベー。・・・」と何度も言っているのが印象的でした。ディーゼル車で加速が悪く列車が中々離れていかないということで長いアナウンスになっていたのだと思いますが、和歌山から紀伊田辺までノンストップというのもカッコ良いと思いました。

・1972年~1974年頃

和歌山から東北への移動ですが列車ではなくクルマを使いましたのでその時のエピソードはありませんが、東京に行くときは485系「ひばり」や453系「まつしま」を良く利用していました。私がアマチュア無線を始めたのはこの頃です。

と、今日も長々と懐古趣味的な内容になってしまいました。