bookmark_border[7] CWとの関わり

高校の無線部で先輩方がやっているCW QSOを横で見ていて、CWの面白さに目覚めました。私もCWの練習を始めましたが耳がついていけず、結局高校時代は電信級免許は取らずじまいでした。

その後、大学に入り再度挑戦しようと1979年に2アマ免許を取得しました。なぜ1アマでなかったかというと、当時の1アマは英文と共に和文モールスの実技試験があり、和文は全く覚えていなかったからです。2アマの実技は英文のみでしかも速度が1アマよりも遅かったため大丈夫という変な自信がありました。

ちなみに一念発起し2016年に1アマを取りましたが、和文モールスは既に試験科目から無くなっていて少し寂しい気持ちになりました。

bookmark_border[6] 高校時代のハム生活とタイプライター

高校入学後には何の迷いもなく無線部に入部し、八重洲HF機での先輩方のQSO(SSB、CW)を見ながら過ごす日々でした。夏のフィールドデーコンテストでは信州の山で合宿をし、夜を徹してコンテストコールに励んでいました。ただ、趣味としてのアマチュア無線にもかかわらず体育会系の様相を呈していましたので、違和感を覚え部活動からは徐々に足が遠のいていきました。

一方、部活動とは別に「クラブ活動」というのがあって、私は英文タイプクラブに所属していました。英文タイプとは英文タイプライターのことで、英語の先生で前職が商社勤めという異色の経歴を持つ先生がそこで指導をされていました。指のホームポジションをベースに、そこから指を伸ばしてキーボードを見ずに他のキーを押すというブラインドタイピングの基本を教わりました。

使っていたのは電動ではなく手動タイプライターのため、キーの押圧により文字の濃淡が変わってきます。したがってホームポジションから遠く離れたキーでは文字が薄くなるということもありましたが、その様なキーは中央のキーと比べてストロークが短くなるような設計上の工夫がされていたと思います。

学校にはひと昔前のごついタイプライターがありましたが、教本を使って家で練習するために個人用のタイプライターを購入しました。当時は、「オリベッティ」か「ブラザー」か迷い、結局ブラザーにしました。理由は忘れましたが、外国製よりも日本製に魅力を感じていたのかも知れませんし、オリベッティの「赤」が嫌だったのかも知れません。
この時期のタイピングの習得は、その後、趣味や業務でのキーボードの操作にとても役立っています。

 

bookmark_border[5] トリオのコイル

アマチュア無線局開局に前後して、単球再生式や5球スーパーなどの受信機のキット製作を楽しんでいた時期があります。

神田に科学教材社というラジオキットや模型の専門店があり、系列の誠文堂新光社が出版する「子供の科学」「初歩のラジオ」などの月刊誌の後ろの方に掲載された広告は見ているだけで楽しめました。また科学教材社が扱っている商品のカタログ本(工作ガイドブック?)も想像を掻き立てるものがありました。

商品は通信販売で購入することができましたので、現金書留で代金を送って小包で商品が送られてくるまでの間がとても長く感じられました。購入した5球スーパーは標準構成で電源トランスがついており、感電のリスクも低い(?)ため安心できます。整流には5MK9という二極管を使っていますが、代わりにシリコンダイオードを使えば4球スーパーになります。

スーパーヘテロダイン受信機は内部に発振回路を持っていて、受信信号(高周波)と内部で作られた高周波を混合し、そこから出てくる「和」の周波数と「差」の周波数のうち、「差」の周波数成分(中間周波数=455KHz)だけを取り出すためにIFフィルタにかけ、その中間周波数の信号を検波して音声に変えるのですが、RF回路やIF回路にはトリオ製のコイルが使われていました。緑の箱に入っていたことを覚えています。真空管はNEC製だったか忘れましたが赤い箱でした。

この様に箱に入った部品一つひとつが商品であり、それらが、ほど良い大きさの箱にきっちりと収められた「キット」には、今振り返ってもワクワクさせられます。リード部品の袋やその他の部品の箱自体がクッションの役割をしているので、余計な緩衝材も必要無かったと思います。通信機キットは製作の楽しみはもちろんのこと、製作開始するまでに期間をおくことで「眺める」「触れる」「完成後を想像する」など多様な楽しみ方があり、その間に自分だけの「モノ」になっていく、これはプラモデルに通じるものがあります。

同調用のダイヤルはなぜか大型のバーニアダイヤルに変えました。実は作ったのは短波受信機ではなく中波ラジオなのでそれほど大げさなダイヤルは必要無かったのですが、通信機の貫禄を醸し出すための「見栄」でした。今思えば、短波受信機への改造はそれほど手のかからないものだったはずですが、結局、生涯中波ラジオのままで、気が付いたらいつのまにか無くなっていました。

 

bookmark_border[4] トリオと八重洲

全くの個人的な印象ですが、私の世代のトリオと八重洲のリグは、クルマの世界でいうとトヨタと日産の関係に近いものを感じます。大衆受けするデザインのトリオに対して、玄人受けする質実剛健な八重洲・・・。トリオが終段にS2001を使うのに対して八重洲は6JS6を使う様な・・・(あまり関係ありません。)

自分がTR-2200を使っていたためか当時はトリオに特別な思い入れがあり、TR-7200の実機を見たときはCH表示を初めとするデザインの美しさが印象的でした。その後TR-7300を見たときはそのデザインに驚きましたがCHの多さにもびっくりです。電卓(というか初期の卓上式電子計算機)のような筐体に40CH分のボタンがついていました。さすがにクリスタルではなくシンセですよね。

一方で、八重洲はVHF/UHF分野ではあまり印象がありません。モービルという視点ではHFモービル機があったように思います。八重洲のリグは、FL-50B / FR-50B以外は感電してしまいそうで少し近寄りがたいものがありました。実際、八重洲HFトランシーバーのケースを開けた状態を見たことがありますが、シールドケースには「DANGER」と書かれていました。トリオも同じかも知れませんが幸い中は見ていません。

 

bookmark_border[3] 八重洲 FL-50B / FR-50B

中学校のハムクラブでは、八重洲のHF SSB 10W機 FL-50B / FR-50Bを使っていました。

送受信セパレートタイプで、一緒に使うとトランシーバとして使える初心者向けのリグでした。

八重洲のリグというとFTDX400などの四角くてごつい通信機のイメージがありますが、これはそれとは一線を画した、少し面取りされたような優しさを感じる通信機です。

アンテナは校舎の屋上に設置されたダイポールですが、面倒だからかあまりアンテナに興味が無かったのか、結局実物を見ずに卒業してしまいました。

マイクはなぜかトリオのスタンドマイク(MC-50)でした。

バンドは40mだったと思いますが記憶が薄れています。学校ではHF、家ではVHF(2m)と、中学校時代はアマチュア無線に明け暮れていました。

FL-50B/FR-50B
(八重洲カタログ写真より)