bookmark_border[5] トリオのコイル

アマチュア無線局開局に前後して、単球再生式や5球スーパーなどの受信機のキット製作を楽しんでいた時期があります。

神田に科学教材社というラジオキットや模型の専門店があり、系列の誠文堂新光社が出版する「子供の科学」「初歩のラジオ」などの月刊誌の後ろの方に掲載された広告は見ているだけで楽しめました。また科学教材社が扱っている商品のカタログ本(工作ガイドブック?)も想像を掻き立てるものがありました。

商品は通信販売で購入することができましたので、現金書留で代金を送って小包で商品が送られてくるまでの間がとても長く感じられました。購入した5球スーパーは標準構成で電源トランスがついており、感電のリスクも低い(?)ため安心できます。整流には5MK9という二極管を使っていますが、代わりにシリコンダイオードを使えば4球スーパーになります。

スーパーヘテロダイン受信機は内部に発振回路を持っていて、受信信号(高周波)と内部で作られた高周波を混合し、そこから出てくる「和」の周波数と「差」の周波数のうち、「差」の周波数成分(中間周波数=455KHz)だけを取り出すためにIFフィルタにかけ、その中間周波数の信号を検波して音声に変えるのですが、RF回路やIF回路にはトリオ製のコイルが使われていました。緑の箱に入っていたことを覚えています。真空管はNEC製だったか忘れましたが赤い箱でした。

この様に箱に入った部品一つひとつが商品であり、それらが、ほど良い大きさの箱にきっちりと収められた「キット」には、今振り返ってもワクワクさせられます。リード部品の袋やその他の部品の箱自体がクッションの役割をしているので、余計な緩衝材も必要無かったと思います。通信機キットは製作の楽しみはもちろんのこと、製作開始するまでに期間をおくことで「眺める」「触れる」「完成後を想像する」など多様な楽しみ方があり、その間に自分だけの「モノ」になっていく、これはプラモデルに通じるものがあります。

同調用のダイヤルはなぜか大型のバーニアダイヤルに変えました。実は作ったのは短波受信機ではなく中波ラジオなのでそれほど大げさなダイヤルは必要無かったのですが、通信機の貫禄を醸し出すための「見栄」でした。今思えば、短波受信機への改造はそれほど手のかからないものだったはずですが、結局、生涯中波ラジオのままで、気が付いたらいつのまにか無くなっていました。

 

bookmark_border[4] トリオと八重洲

全くの個人的な印象ですが、私の世代のトリオと八重洲のリグは、クルマの世界でいうとトヨタと日産の関係に近いものを感じます。大衆受けするデザインのトリオに対して、玄人受けする質実剛健な八重洲・・・。トリオが終段にS2001を使うのに対して八重洲は6JS6を使う様な・・・(あまり関係ありません。)

自分がTR-2200を使っていたためか当時はトリオに特別な思い入れがあり、TR-7200の実機を見たときはCH表示を初めとするデザインの美しさが印象的でした。その後TR-7300を見たときはそのデザインに驚きましたがCHの多さにもびっくりです。電卓(というか初期の卓上式電子計算機)のような筐体に40CH分のボタンがついていました。さすがにクリスタルではなくシンセですよね。

一方で、八重洲はVHF/UHF分野ではあまり印象がありません。モービルという視点ではHFモービル機があったように思います。八重洲のリグは、FL-50B / FR-50B以外は感電してしまいそうで少し近寄りがたいものがありました。実際、八重洲HFトランシーバーのケースを開けた状態を見たことがありますが、シールドケースには「DANGER」と書かれていました。トリオも同じかも知れませんが幸い中は見ていません。

 

bookmark_border[3] 八重洲 FL-50B / FR-50B

中学校のハムクラブでは、八重洲のHF SSB 10W機 FL-50B / FR-50Bを使っていました。

送受信セパレートタイプで、一緒に使うとトランシーバとして使える初心者向けのリグでした。

八重洲のリグというとFTDX400などの四角くてごつい通信機のイメージがありますが、これはそれとは一線を画した、少し面取りされたような優しさを感じる通信機です。

アンテナは校舎の屋上に設置されたダイポールですが、面倒だからかあまりアンテナに興味が無かったのか、結局実物を見ずに卒業してしまいました。

マイクはなぜかトリオのスタンドマイク(MC-50)でした。

バンドは40mだったと思いますが記憶が薄れています。学校ではHF、家ではVHF(2m)と、中学校時代はアマチュア無線に明け暮れていました。

FL-50B/FR-50B
(八重洲カタログ写真より)

 

bookmark_border[2] 2m FMでのCQの出し方(昔と今)

1970年代は、2m FMでCQを出すときはまずメインチャンネルの144.48MHzでCQを出し、応答受信後に空いていそうなサブチャンネルで「チャンネルチェック、このチャンネルお使いですか?」とQRL確認し、メインチャンネルに戻ってQSY指定するという感じでした。

CQを出すときも「どなたか入感ありますか?こちらはJAxxxx」とやっていましたが、ほとんどの皆さんがそうしていてそれが普通かと思っていましたので、たまに「CQ 2m」でコールする局があると何か新鮮さを感じました。それも、最後に英語で「calling CQ and standing by.」とか、特定局を呼ぶときに「calling you and standing by.」とか言う人もいて、当時の少年としてはレベルの違いを見せつけられた感じです。

最近、久しぶりに2m FMをワッチしましたが、もはや「チャンネル」という言葉は使わないのですね。(周波数チェック・・・)

CQを出す際は皆さん「CQ」とやっていますね。事前にQSY先をチェックしたうえで。

 

bookmark_border[1] 開局当時のリグ トリオ TR-2200

私がアマチュア無線技士の免許を取ったのは昭和47年(1972年)中学校時代。電話級という資格でした。

すぐに開局し、当時は7エリアに住みJA7の最終に近いコールサインを取得したのですが、その後1エリアに移ったため残念ながらJA7コールは手放すことになりました。

開局はトリオのTR-2200という144MHz帯1Wのハンディ機でのハムデビューでした。チャンネル数はわずか6CHで、コールチャンネルの144.48MHzとその他144.72、あと145.32(だったか記憶が曖昧)くらいしか標準実装されていなかったため、残りは各CH毎にクリスタル(水晶振動子)を買い足してソケットに差した記憶があります。クリスタルソケットの横にはCH毎にトリマコンデンサが並んでいて、これは絶対に触れてはいけないと言われていたためそっとしておきました。

その後、友人がTR-2200Gという12CH機を購入して開局、少し悔しくて私もTR-2200用の6CH増設キットを購入し12CH化を図りました。

ただ「G」との違いはCH数だけでなく、チャンネルツマミの形状やチャンネル表示、マイク形状(筒形タイプか近未来タイプか)、マイク端子が3ピンか4ピンか(さらには本体側コネクタがメスかオスか)という、当時の少年にとってはとても大きな違いに見えました。

これらの違いを自分で解消することはできませんが、唯一、3ピンのマイクで筒形でない四角型のタイプ(おそらくTR-5100とか7100用のマイクだと思います)が入手できましたので、家でQSOするときはそれを使っていました。

外ではリグを自転車のかごに載せ近所を走り回って友人とモービルQSOを楽しみました。おもちゃのトランシーバごっこの延長だったですね。小学生のころは学研のラジホーンで遊んだ世代です。(脱線しますが昔の学研のロゴは流線形でした。)

自宅のアンテナはカマボコ板にロッドアンテナを付け、針金製のラジアルを何本か付けたいわゆる「なんちゃってλ/4 GP」を、玄関のひさしの上に取り付けて電波を出していました。

この時はSWRは気にしていなかったので、リグには負担をかけていたかも知れません。ケーブルも75Ωの3C-2Vを使ったりしてインピーダンスマッチングなどの知識は無かったですね。しばらくして10Wブースターを入手し、OMさんからもSWRメータをいただいたのでSWRに気を遣うようになりました。

TR-2200
(画像はトリオカタログより引用)