bookmark_border[175] PL/M

これも会社入社後間もない頃の昔話ですが、半年間ほど自動車電話端末のソフトウェア設計の実習をする機会がありました。

米国向けの「AMPS」というアナログセルラー方式で、その制御系の組み込みソフトのプログラミングです。ターゲットは「8085」マイクロプロセッサで、これはインテル「8080」プロセッサの電源(+12V/±5V)を+5V単一にした改良型の8ビットCPUです。

プログラミング言語は、実行速度が要求される信号処理部分こそアセンブラでしたが、それ以外はPL/Mといういわゆる高水準言語でした。AMPS仕様書は米国ベル研究所で作成され、それをそのままプログラムに置き換えることができるような優れた仕様書だったと記憶しています。

専用のコーディング用紙に手書きでプログラムを書いていき、それをキーボードで打ち込みコンパイルして生成されたコードを紙テープに移し、リーダーにかけてROMに焼くという作業が続きました。

試作品に使われるROMは丸い窓が付いているEPROMで、強い紫外線を当てると何度も書き換えが可能なものです。一方、量産品には書き換えができないPROMが使われますが、バグ修正などで量産に間に合わなくなると初期ロットにもこのEPROMが使われていました。窓から紫外線が入り込まないようにソフトウェアのバージョン番号を記載したシールが貼付されます。

今やスマートフォンなどはリモートでソフトウェアのアップデートが可能な時代ですので、量産前にバグが見つかってもそれが大勢に影響が無いものであればそのまま出荷しているのではないかと推察します。その意味では、モノづくりも効率的になったというか、逆に多少の不具合があっても、メーカー側もユーザー側も許せる世の中になったのかなと思います。

ただ、個人的にはできれば1stロットは避けたいという気持ちは未だに残っています。

bookmark_border[12] 電界強度の測定

80年代前半、社会人になりたての頃の私の仕事は、海外向け自動車電話のシステム設計と、実際に出来上がったシステムでのカバレッジ(サービスエリア)の調査でした。

当時の自動車電話システムは、今の携帯電話システムのような無線基地局のアンテナをビルの屋上などにつけてカバレッジを細かく分ける方式ではなく、高い鉄塔の上に大きなアンテナを付けて電波を遠くまで飛ばしエリアを稼ぐ方式でした。そのため、いかに少ない基地局数やアンテナ数で広いエリアをカバーするかが課題であり、またシステム構築をしたのちサービスインの前にフリンジ(カバレッジの端っこ)や不感地帯の特定が必要となります。電波がどこまで届くか・・・というのは理論上計算が可能です。すなわち、アマチュア無線の試験にも出てきますが電界強度は距離に反比例するということです。しかしそれは送信側と受信側の間に何も障害物が存在しない「自由空間」上の話であり、実際はビルが立ち並ぶ都会などは伝搬状況が大きく異なります。

そこで参考にすべきバイブルが「奥村カーブ」です。奥村氏は、60年代から70年代にかけて東京タワーや筑波山に送信アンテナを設置して関東平野をクルマで走行し受信レベル(電界強度)の測定を行ったそうです。そして距離と受信電界強度の関係をグラフにした「奥村カーブ」を完成させました。奥村カーブを元に、送信電力、アンテナ利得、アンテナ高、受信感度(最低受信電界強度)などのパラメータを考慮し実態に即したカバレッジを推定するのですが、海外など広大な土地に無線基地局を設置する際は補正が必要でした。

実際にシステムが組み上がったあと、現地でバンを借りてエリア内を走行し電界強度測定機で測定する作業に参加しましたが、当時はGPSなどは使うことができず、紙の地図上に電界値を手書きでプロットしていく作業が延々と続きました。大変ではありましたが良い思い出として残っています。