[699] コールサインの思い出

唐突ですが、今振り返ってみると私のコールサインに対する思いは何か特別なものがあったようです。

以前「[102] 開局当時の局免」で紹介したように、私のハムライフの原点は「JA7」でした。サフィックスの1文字目は「W」でしたので、もう少しで「JH7」に代わるタイミングです。従免が発給されてすぐに局免を申請したのですが、当時はハム人口が急激に増えており、何とか滑り込みで「JA7」のコールを取りたくて焦っていたように思います。

その後、1エリアに転居して常置場所の変更申請をするにあたり、今度は逆に数年間待ちました。というのも当時は「JI1」全盛期でその次は「JJ1」。その時の私はなぜか「JK1」が良くて、「JJ1」の終了を待っていたのです。そのうち最初の局免の有効期限が迫ってきて、ここでもまた焦ることになりました。

結局、局免を切らすことなく無事「JA7」から「JK1」につなげることができました。でも「移動範囲」の申請を失念していたようで、一瞬ではありますが「移動しない局」になっています。

その後局免を更新したと思うのですが、そのうち失効してしまいました。他局へのコールサインの再割り当ては免れ、また再申請したりと紆余曲折ありましたが、何とか今でも当時のコールサインを保っています。

この様に改めて振り返ってみると、私のコールサインに対する思いは何とも歪んだところがありますね。でも、これもアマチュア無線の面白さかと勝手に思っています。というか、正に自己満足の世界ですね。

ちなみに下は当時のQSLカードです。懐かしのアドカラーさんのカードですね。私の中でQSLカードは「アドカラー」「デザインナカニシ」「JARLのブランクカード」の3択だった思い出があります。発送は相手局へダイレクトに郵送のケースも多かったため、この様なハガキ形式がデフォルトだったのでしょう。

既にアドカラーさん、デザインナカニシさんは廃業され、紙カードの発行も縮小(自粛?)の時代になり少し寂しさはありますが、でも時代の流れに取り残されないように努めていきたいと改めて思った次第です。

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