[501] 限界費用ゼロ社会

最近、KiwiSDRやATU-100などの情報に接するうち、ふと「限界費用ゼロ社会」という言葉を思い出しました。これはかつて米国の某経済学者が提唱した言葉で、インターネット、通信、IT、AIなどの技術の発達により、人々は安価にまたは無償でさまざまな情報を得たりサービスを受けたりできるようになったことで、従来の資本主義経済の形態が崩れ、新しい「共有型経済」へのパラダイムシフトが起こりつつあるというものです。その中で日本は対応が遅れているといった指摘を受けています。

確かにKiwiSDRでは自ら受信機を持つ必要が無く、他者の受信機を使ってSWLやBCLが自由に楽しめますし(本来は受信機を持ってギブアンドテイクが望ましいのでしょうが・・・)、ATU-100はオープン技術のため誰でもクローニング可能で安価なハードウェアが調達できます。またこの様な直近の例を見るまでもなく、パソコン通信やインターネット等の利用にあたり80年代~90年代には気にしていた通信(電話)料金もいつしか定額になって気にする必要がなくなり、必要な情報はインターネットで瞬時に集めることができるようになりました。

今改めて思い返すと、私が初めて「限界費用ゼロ」に近い経験をしたのは3Dプリンタだったかも知れません。今から25年くらい前の話ですが、米国子会社に出向していたとき、ページャ内部の基板や部品を変えずに、外側の筐体だけ顧客の要求に従ってカスタマイズしOEM化するというプロジェクトに参加したときのことです。西海岸パロアルトにあるモールドベンダーに行き超短納期で筐体の試作品を作っていただくようお願いしたところ、CADデータさえ調っていれば新設備を使ってすぐにできるとのこと。修正等含め一週間程度で作って貰えましたが、材質や色はともかくとしてその形状は商品開発を進めるのに支障の無いもので、それまで簡易金型でモールディングしていたときに比べて費用や期間が格段に改善しました。その時は「3Dプリンタ」という存在をあまり良く認識していませんでしたが、あとでそれが初期の商用3Dプリンタであることを知りました。

話が逸れてしまいましたが、新たな「共有型経済」の中で自分は何を貢献できるか、中々難しい課題です。世の中、社会貢献やSDGs、カーボンニュートラルの取り組みを謳った企業が多いですが、個人レベルでも何か明確なビジョンを持つことができれば良いのですが・・・

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